仮住まいでなく

 もうそろそろよさそうなので、『借りぐらしのアリエッティ』についてちょっと真面目に語ってみます。
 ネタバレになりますので、危険回避されたい方は御注意を。
 少し下げます。























 他のブログなどでもあまり取り上げられていないようなのですけれど、そもそも不思議なのは「借りぐらし」という言葉です。
 広辞苑あたりにもこの言葉は載っていません。
 タイトルに書いたように「仮住まい」という名詞やら「狩り暮らす」という動詞はあるのですが。
 おそらくは造語なのでしょう。

 映画を鑑賞すれば分かるようにアリエッティの一家は人間の住まいの下に住居を構え、時折人間の持ち物を「借り」て生計を立てています。
 アリエッティの父親が初めて「借りに出かける」という言葉を発した瞬間、予備知識のない観客は「あれ、狩りじゃないの?」と、そのイントネーションに違和感を抱かされる仕掛けになっています。

 その「借り」の描写はなかなか素敵なわけですが、改めて書くまでもなく、彼らの行為自体は明らかに「盗み」に他なりません。
 ものすごく乱暴な言い方をしてしまえば、彼ら小人は「泥棒」なのです。
 ただ彼らの「借り」は、必要最小限の生活必需品を、人間に気づかれないように、そうと悟られない程度の量だけいただいてくる、そんなささやかな行為として定義づけられています。

 この辺りには明確な寓意があると考えられます。
 鑑賞した方の多くが指摘しているように、「アリエッティ一家」対「人間」の関係はそのまま「人間」対「自然(地球)」の関係に対応させられている、と。

 人間は地球から様々なものを奪ってきました。
 それでも、その行為はかつては「アリエッティ一家」の「借り」程度の、ささやかな形であったはずです。
 上のように考えると、映画中盤で翔がアリエッティに向かって「君たちは滅びゆく種族なんだね」という言葉を投げかけるシーンにも大きな意味が生じます。
 続けての翔の「自分は病が重く、先が長くないかもしれない」という嘆きにも別の意味合いが与えられてくるわけです。
 宮崎駿がテーマにしたかったのがそのあたりであったのは間違いなさそうです。

 しかし、鑑賞直後のブログに書いたとおり、翔とアリエッティの、この重要な会話があの場面でなされなければならない必然性が見当たらないのが本作の欠陥であると感じないわけにはいきません。
 それほどに唐突すぎるのです。

 鑑賞後かなり時間が経ち、ようやく自分なりに消化ができたように感じています。
 他の方々の意見や感想なども読ませてもらって、なるほどと思わされることも少なくありませんでした。

 決して悪くはないけれど、あまりに不親切な作品であるというのが私なりの評価です。

 最後に。
 鑑賞直後の感想で「希望の持てるラストに好感を抱いた」旨を書きましたが、ほんとうに希望が持てるかどうかは、我々のこれからの生き方次第なのだというメッセージが込められているのだろうと思います。
 つまり、アリエッティや翔の未来について、我々に委ねたのだとも判断できるわけです。
 したがって、ネット上に散見される「続編」云々を取り沙汰している意見については、「それだけはありえない」と断言してよいと思います。

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